皆様は「空港での仕事」と聞くと、どんなイメージをお持ちですか?例えば搭乗口では、チケットを通す人、無線で誰かと会話しながら書類を作る人、機内の乗務員と引継ぎする人など、色々な仕事があります。ちょっと面白そう!と思う方もいるかもしれません。
でも実際に空港で働いていると、スムーズにいかない場合も多く、マニュアル通りに進むことなんてほとんどなかったりするんですよね。今回は、航空会社で長年働いてきた筆者が、「すり替わり」の具体事例をもとに、搭乗口で体験した、最も緊張感ある10分間について書いてみたいと思います。
これを読めば、航空会社にとって大切な「安全性、定時性、快適性」を守るために、スタッフがどんなプライオリティで判断しているか、そして搭乗口での10分間がどんなに長いかが分かっちゃいます。
また、空港の仕事やGH(グランドホステス)に興味がある方も必見です。早速読んでみましょう!
搭乗口でのすり替わり事件
お客様が搭乗口に来て、さあ飛行機に乗るぞ!という時に、航空会社からアナウンスが流れます。
「○○航空では、お客様のパスポートの顔写真のページを拝見しております…」
そう、搭乗口でまたパスポートを見せろと言ってくるのです。「えっまた!?」と思いますよね。だって、
- すでにイミグレーションを通過して、出国済みである
- そもそも、チェックインカウンターで一回パスポートを見せた
- 航空会社は入国管理局ではないのになぜそんなにパスポートを見たがるのか?
と不思議に思われる方がいるかもしれません。空港では、「もしかしたら、すり替わりがいるかもしれない」と思って対応することが必要になる時があるんです。
すり替わりとは、別の人になりすまして飛行機に乗ること。英語では「スマグラー」と呼ばれていて、正規の出入国手続きを経ずに飛行機に乗ってしまう人のことです。
今回は、筆者が空港の搭乗口ですり替わりに遭遇してしまった時の具体事例です。
出発1時間15分前:「初めて見る旅程だな」
まだ入社2年目ぐらいの頃、ヨーロッパ便の出発ゲートを担当していると、搭乗口にフランス旅券を持った白人のおじいちゃん(A様)がやってきました。A様はその時点で、ちょっと記憶に残るお客様でした。
- 旅程が「バンコクー東京ーヨーロッパ」という遠回りなルート
- 遠回りなのに、日本に入国せずにトランジット(乗り継ぎ)する
- パスポートが特徴的で、カバーに家族写真がたくさん入っていた
A様はその日の朝バンコクから日本に到着し、そのままトランジットエリアで数時間を過ごし、日本に入国せずにヨーロッパに帰る、という旅程。日本に入国しないため、出国審査前のチェックインカウンターではなく、そのままトランジットエリアの搭乗口にお越しになりました。
バンコクからヨーロッパに直行便が多数飛んでいるので、「バンコクー東京ーヨーロッパ」というのは、よく考えると遠回りです。何年か働いていても初めて見る旅程だったので、隣にいた同僚に「こんな旅程の人がいるんだね」とか話していました。その時点ではそれ以上に不審な点は無かったので、そのままA様をチェックインします。
その便は定刻の出発1時間前に搭乗受付を終了し、搭乗が始まりました。
出発15分前:「外見が違うけど大丈夫?」
搭乗は順調に進み、トータル300名(仮)のお客様のうち、297名が搭乗済みとなりました。残り3名のうち、1名は例のA様(フランス人のおじいちゃん)。自分でチェックインを担当した筆者は、特徴あるお客様だったのでしっかり覚えていました。
「A様は年配の白人男性で、トランジットのお客様だから近くにいるはず」とチームに無線で伝え、自分でその方を探しに行きました。その時は「お手洗いにでも行かれたのかな、印象が強かったからよく覚えてるし、すぐに見つけられるだろう」と思っていました。
筆者が搭乗口を離れてお手洗い付近を捜索しているころ、搭乗口には最後の1名である「A様」がやってきて、改札を通過します。同僚によると、その時やってきたのは、なんと浅黒い肌の若い男性だったのです。外見の特徴を筆者から聞いていた先輩が、無線で「ちょっと、、外見が全く違うみたいなんだけど大丈夫?」と教えてくれました。
出発10分前:「機内を見てくる」
「浅黒い男性!?!?」と思い、急いで搭乗口に戻ると、この便の他のお客様299名の搭乗はすでに終了していて、貨物室の搭載も終了。あとは乗客数を確定させ、ドアを閉めて便を出すだけです。時計をちらっと見ると、出発時刻まであと10分。
10分ならまだいける、と思った筆者は、「まだ時間ある、ちょっと機内見てきます!」とチームに言い残し、機内に走って行きました。ただ教科書的には、飛行機を定時に出発させようとすると、逆算して10分前には出発準備が終わっていることが理想。今からバタバタし始めると、遅延につながる可能性があります。この時は、筆者はA様が気になったので、念のため機内に入りました。
飛行機のドア付近で搭乗客と話していたチーフパーサーに、「ちょっと機内に入るね」と合図し、パーサーが「OK」とアイコンタクトを返してくれます。パーサーというのは、客室の責任者です。この便はヨーロッパ系の年配女性がパーサーでした。もちろん初対面です。
A様の座席番号34Dまで、他のお客様をよけながら進みます。出発前に手荷物を上の物入に収納している方が多いので、急ぎながらもぶつからないように気を付けます。
また、出発直前に地上スタッフが最終確認で機内に入ったままなのに、全員外に出ていると勘違いされ、ドアを全て閉められてしまう事件が定期的にあるので、それも注意していました。
実をいうと筆者も入社1年目ぐらいの時に、ドアを閉められちゃったことがあります。飛行機のドアは、家のドアみたいに簡単には開けられません。搭載担当者に「まだ機内にいます、開けてください(T-T)」という業務連絡を、社内無線で飛ばす羽目になったことが!その時は遅延しなかったけど、ショックでした。笑
さて、ようやく座席番号34Dにたどり着くと、そこには年配のフランス人男性ではなく、初めて見る東南アジア系の若いお兄やんが座っていました。「えっまさか!この人だれ!?」と思い、頭がクラクラしたのを覚えています。完全に別人やんけ。。
「A様、パスポートを拝見したいのですが」と見せてもらうと、パスポートはフランスのもので、氏名はA様で一致しています。ただ顔写真は違っていて、目の前にいる東南アジアのお兄やんでした。そしてパスポートカバーに大量に入っていた家族写真は、一枚もありませんでした。お兄やん(B様)は、ニコニコしながら筆者の方を見ています。
この時、瞬時に色々考えました。頭の中にあったのは、だいたい3つでした。
- このお兄やんは別人だ
- だが根拠は私の記憶のみ、どうやってそれを証明するか
- あと10分以内にケースクローズして、ドアを閉めなきゃ遅延する
頭では別人と感じていましたが、それをどうやったら証明できるのかを考えていました。なぜなら搭乗済みの乗客を降ろすということは航空会社にとっては一大事で、コミュニケーションをミスると後々大きなクレームになりかねません。確実な判断が必要です。
「これは偽造パスポート」
とにかくB様が別人である証拠を見つけようと思って必死にパスポートを調べていたら、パーサーが座席にやってきて、「何か問題?」と声をかけてくれました。彼女としては、筆者が機内に残っているとドアが閉められないので、「早くしろ」と思いつつ見に来てくれたのだと思います。事情を英語で説明し、パスポートを見せて、別人の可能性があると主張。同時に、無線でエアラインの責任者を機内に呼びだし、相談しました。
搭乗口にいた地上責任者が機内に入ってきたので、状況を説明し「B様をこのまま乗せるかどうか」、3人で議論します。色々意見が出て、この時間にお客様を降ろすことの運航上のリスクなども話します。
「もう時間ないし、このまま出発させようか」という意見も出たものの、筆者としては別人を乗せたくない気持ちが強く、賛成できずにいました。
そんな議論をしているうちに、隣でパスポートをくまなく調べていたパーサーが、偽造であるという根拠を見つけ出したのです。彼女は「このパスポートは偽造だ、彼にはこの便から降りてもらう」と断言。パーサーのおかげで明確な根拠が出てきたので、もはや誰からも異論は無く、結論に達しました。
B様は手荷物のチェックインが無いので、ご自身だけ降りてもらい、スタッフとしては機内搭載書類を修正します。
もし手荷物のチェックインがあった場合は、手荷物の番号を調べ、搭載位置を探し、貨物室から取りおろします。所要時間は、搭載場所によって10~20分ぐらいかかり、定時に出発することはまず不可能だったでしょう。
そして定刻出発
「このお客様は手荷物のチェックインが無いから、もしかしたら飛行機をオンタイムで出せるかも」と、地上の責任者と確認していると、パーサーが筆者に近づいてきて、数秒ぐらいじっと目を見つめられました。
この時、パーサーがなぜ無言だったは分かりません。
とりあえず筆者は、この10分間で「スマグラーを発見し、機内から降りてもらい、これから入管に引き渡す、お客様は今は大人しいがいつ暴れだすか分からない」というクリティカルな状況で、極度の緊張状態。気の利いた英語なんて、もう何一つ出てきません。ただ、新人の自分がうまく説明できなかった部分を、彼女がうまくカバーしてくれたことは分かり、本当にありがとうという気持ちでいっぱいでした。
一方パーサーにとっては、いったん機内のドアが閉まると、密室のまま高度3万フィートを10時間以上飛ぶことになります。道中何が起きても、限られたリソースとメンバーで対応するしかありません。ましてや客室の責任者として、他の乗員や乗客の命も預かる立場。スマグラーのお客様の目的は分からないものの、自分たちの飛行機に乗せずに済んで、まずは安心した気持ちだったと思います。
そしてB様に、この便から降りてもらうことを説明します。彼はずっとニコニコと話を聞いていて、スタッフが険しい顔で「あなたはこの便には乗れない」と伝えても、すんなりと指示に従ってくれました。もしかしたら、自分の状況を理解していないのかもしれません。
各所の出発準備が終わると、パーサーが最後のドアを閉めます。こんなに色々あったのに、なんと飛行機は定刻で出発しました。
真相は…?
飛行機の出発を見送った後、出入国管理局(イミグレーション)にB様の身柄を引き渡しました。英語は全く分からないようで、一緒に歩いていく時も、彼はずっとニコニコしています。空港は女性スタッフが多いので、暴れたりする人じゃなくて良かったけど。。
これは筆者の予想ですが、恐らく、最初にチェックインに来たフランス人のおじいちゃんと、東南アジア系のお兄やんは、チェックイン後にトランジットエリアで落ち合い、搭乗券を手渡したのだと思います。
そしてフランス人のおじいちゃんの行方は、その日は結局分からずじまい。いったん日本に入国し、何日か後にどこかの飛行機で出発したらしい、という噂は耳に入ってきました。ただ、末端のいちスタッフとしては、それ以上追及はできなかったです。
今振り返ってみて
フライトを振り返ってみて、何はともあれ、すり替わりのお客様にすんなり飛行機から降りていただき、定時にフライトを出せたので、まずは結果オーライだったと思います。「安全に定時で出発させる」という一番のポイントは押さえることができました。
後でよく考えてみれば、チェックイン担当者として異変に気付いて、機内で目視確認し、やはり違うと思ったのであれば、すぐにお客様を降ろして良いケースだったと思います。チェックイン担当として「この人は別人です」と申告すれば、それが根拠になるはず。
ただ、すでにお客様が機内に入って座っていた以上、地上・客室の責任者それぞれと、よく話すことは必須でした。なぜなら、地上と機内は管轄が別なので。筆者だけかもしれませんが、お客様を降ろす判断というのは、何年目になっても悩ましいです。
総合的に見て、10分しかなかったけど時間内に決め手を見つけることができたのは、なかなか良いチームワークだったのでは!?
この時は入社2年目ぐらい、ようやく一人で動けるようになったレベルで、「自分の判断でフライトを出発させる」という経験がありませんでした。更にメンバーによっては、怖い先輩の目を気にしながら仕事をすることもあったりして。笑
そして300人が乗った飛行機の出発に一人でストップをかけるのは、想像以上に勇気がいることなんです。詳細を報告しなきゃならないのは確実だし、場合によっては後で問題になることも。
- もしチームワークが悪く、自分の意見が言いづらいメンバーだったら?
- もし上司が聞く耳を持たないタイプだったら?
- そして出発10分前に異変に気づいた時、飛行機を止める勇気が自分に無かったら?
上記の要素がどれか一つでも欠けていたら、もしかしたらこんな結果にはならなかったかも、と思うと、少しぞっとしました。この日は自分なりの立場で、チームプレーができたと感じられたフライトでした。
まとめ
以上、すり替わりの具体事例をもとに、筆者の体験した「搭乗ゲートでの最も長い10分間」について書かせていただきました。
空港では毎日違うメンバーと仕事をするので、当然苦労もあるわけですが、こういうチームプレーができると、忘れられないフライトになります。というか筆者は基本的に、ダメだったフライトは一晩寝たら忘れちゃうタイプで、あまり覚えてなかったりします。笑
そしてやはり機内では、ベテランのパーサーが目を光らせていてくれると、地上としては心強いです。
航空会社にとって大切な「安全性、定時性、快適性」、そしてそれをスタッフがどうやって守っているか、何となくお分かりいただけたら嬉しいです。
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